…というわけで、AKMT2009総集編、いよいよレース編に突入。

チームからレース出場許可を得、3月15日『第1回チャレンジカップカートレース in CA』に出場。今年の目標としてSSフレッシュマンA決勝進出を掲げる。事実エントリーはフルグリッドの24台ながら、ディビジョンに分けられた。

あまりの遅さにレース出場許可が得られなかった経緯から、自分が最後尾だろうと想定、A決勝進出は遠い目標に思われた。とにかく経験を積むこと、それには完走することが大事。しかしタイムトライアルでクリアラップが取れないという、想定外の事態に驚く。結果は13位。いきなりA決勝進出の芽が出てきたのだ。こうなると面白い。これまでレース出場許可が降りなかったのは、「最後尾で単独走行になっても、面白くないでしょ?」という店長の配慮。確かにこの立場でレースできるのは燃える。心の中で、店長に感謝した。

しかし、やはりレースは甘くなかった。タイトラは練習の延長線で行なえるのだが、続く予選ヒートはレース形式。未知の領域である。初めてのローリングからスタートで出遅れ、A決勝圏外に脱落。しかもパニクったのか、ハイを全閉にして走っていた。結局ポジションを取り戻すことなく、A組8番手で予選落ちとなった。A組8位、それはB決勝のポールを意味する。初レースで隊列を引っ張る。この経験は後に活きることになる。決勝はスタートがうまく決まり、しばらくトップをキープするも、前に誰も居ない状況ってのも初体験であり、ペースが上がらない。最終的には3番手まで順位を落としゴール。デビューレースはホロ苦いながらも、多くのことを経験することができた。

タイムトライアルB決勝スタート

続いては4月19日、シリーズ本戦デビュー『CAカートレース第2戦』SSフレッシュマンに出場。エントリーは18台、ディビジョンに分かれることはない。朝一発目からのタイトラというスケジュールに、身体的にカルチャーショックを受ける。タイムがまったく出ず終了。ブービー17番手。予選14番手、決勝は混乱に乗じて9位シングルチェッカー。

このあたりから、練習もレースに照準を合わせて行なうようになってきた。基本のペースアップはもちろんのこと、ポン乗りで遅いという『のんびり病』の克服、タイトラで実力を出し切ることを目指す。こんな風にレースに夢中になりかけた頃、妻の妊娠が発覚した。もちろん嬉しい。ずっと願っていた子供を授かったのだ。しかし、共働きの小遣いカーターの身としては、カート活動に大きく影響する。今年はレース経験を積むことが目的だったし、正直結果は急いではいなかった。しかし来年が無いかもしれない。今年結果を出すしかない。今年中に表彰台。まだA決勝進出を果たせていないのにも関わらず、目標を大きく引き上げた。

5月31日、『CAカートレース第3戦』SSフレッシュマンに出場。タイトラではブレーキトラブルで9番手/14、予選ヒートではキャブで失敗して一時は最後尾、追いあげて10番手。トラブル続きだが、タイム的には2~3番手と悪くない。このあたりから、意識が変わってきた。表彰台は遠い目標ではなく、現実的な目標とすべきだ。決勝は、またも混乱に助けられ6位、初入賞を果たした。

AKMT2009CA第3戦 SS-F表彰式

僕はレース毎にチームメイトの先輩・高橋氏に報告し、問題点を整理させていただいている。それを元に練習メニューを組み、克服を目指すのだ。高橋氏の指摘は非常に分かり易く、シンプル。本来は複合的な問題点であっても、順序良く、一つ々々着実に前進させて貰える。今でもこの儀式は続いており、高橋氏には大変お世話になっている。感謝して止まない。この頃の課題は、一発のタイムではなく、アベレージを揃えること。練習でも集中し、レース距離をいかに走り切るか、練習方法は極端なほど効果がある。短いスティントを繰り返して、練習に励んだ。

  • 6月13日『第2回チャレンジカップ in CA』、TT14位/19、B予選6位/9、決勝9位。
  • 7月12日『CAカートレース第4戦』SSフレッシュマン、TT6位/14、予選7位、決勝リタイア。

このあたりは、レースの度に新たな失敗を犯しまくった。練習の成果もなかなか出ず、メンタル面、集中力、メンテ不足、伸び悩んだ時期だった。でも一通りやらかした感じだったので、レース経験という意味では無駄じゃなかったような気がする。しかし、この時期からカートの走行日が激減し、仕事の都合なども重なり、思うように練習できないようになってきた。レース直前に集中して調子を取り戻すという、慌ただしい状況が続く。しかし逆に鍛えられた感もあった。

そんななか、レース直前練習で初めて夢の28秒台に入る。ここで何かが解放された気がする。レースで結果を出すために、タイム度外視の練習を重ねてきたが、それでもタイムを気にしていなかったといえば嘘になる。この安心感は大きい。本当の意味で、ようやくタイムを気にしなくなった。

9月13日『CAカートレース第5戦』SSフレッシュマンに出場。ここで人生初のポールポジションを獲得する。予選ヒート、スタートは成功し、トップをキープ。しかし、前に誰もいないとペースが安定しない。これはデビューレースでも体験したこと。残り数周のところでミスを犯し、2番手に落ちる。ここで初めて自分の中の『悪魔』と出会うことになる。強引に順位を取り戻そうと、接触してしまったのだ。結果3番手に落ち、ヒート後に厳重注意。相手の方にも謝罪した。モチベーションを失い、決勝ヒートも散々。結果は自己ベストながら4位に終わってしまった。今年一番印象に残っているレースである。

10月18日『第3回チャレンジカップ in CA』に出場。チャレンジカップになると気乗りしない病が顕著に表れたレース。タイトラは20台中2番手ながら、予選ヒートでミスを繰り返し、ずるずると8番手へ後退、決勝は6位に終わる。しかし出場して良かった。この不甲斐ない結果から、逆に次戦へのモチベーションが上がった。練習の課題も見えた。ミスをしないこと。これに尽きる。

次戦はCAシリーズ最終戦。表彰台へのラストチャンス。いや、この時点では優勝を狙っていた。しかし例によって、練習日が少なく、エンジンOH後のナラシなど、時間も更に限られる。だが、これまでに無い覚悟でレースに臨んだ。この数戦、オーバーウェイトで闘っていたことから、2週間で4kgのダイエットを敢行。ライバル勢の好タイムに心を乱しつつも、少ない練習時間、ひたすらミスをしない走行を繰り返し、結果を出す準備をする。レース活動を休止する前に、エキスパートへの切符を手にするために。

レースで緊張しない僕が、珍しくナーバスになっていた。とにかくミスはできない。タイトラは3番手。苦しい展開。予選ヒート、ミスをしないという課題は達成できたが、3番手をキープするに留まる。決勝ヒート、ポールのマック矢島氏がエンジントラブルから最後尾へ、僕が2番手からのスタートとなる。スタートで手遅れ、3番手に後退、しかしすぐに抜き返し、2番手に復帰。トップとの我慢比べだ。相手は安定性に定評のあるドライバー、なかなか決め手がない。結局、攻め切れないまま、2位でレースを終えた。

CAカートレース最終戦 SS-F表彰式トロフィーとBSキャップ

ミスをしないという課題は達成できたが、それだけではいけない。僕はレースをしながら、自分としか闘っていなかった。優勝を目指したが、僕にはその実力がない。はっきり分かったレースだった。

チャレンジカップを2戦残していたが、僕としては燃え尽きた感があった。CAシリーズは闘う相手がはっきりしており、それだけに結果が重要なのだ。チャレンジカップは結果度外視なところがあり、レース経験を積む場だと割り切ってしまう。これは僕の弱さでもあるのだが、事実上これでオフシーズンになってしまった。

この1年はいろいろあった。レースデビューから優勝を狙うまで、速さ、強さ、その時々違うレベルで課題になったし、それは今後も同じかもしれない。とにかく底力を上げること、それが冬の課題。来年の抱負は新年に入ってから書こうと思うが、レース活動は大幅に縮小せざるを得ない。一方、まだ公式には発表されていないが、来年はフレッシュマンのレギュレーションが大きく変更されるらしく、僕が来年どのクラスで走るのか、それも流動的。今のところ上位クラスであるスーパーSSに出場する予定だが、シーズン途中で再びレギュレーションが変更される可能性も否定できず、正式に卒業していない僕としては、フレッシュマンに戻ることになるかもしれない。正直気持ちは落ち着かないが、この冬にエキスパートでも通用する実力を身につけること、それが目標なのは変わらない。

さてさて、これで総集編が終わりかと思いきや、今年はもう一つ大きな流れがあった。スポーツカート編。書く時間あるかな?