お久しぶりです、AKMTです。

ブログ休止期間のことはいろいろあるんですが、ちょっと全部巻き戻して書き出すと、復活がいつになるのか見当も付かないので、軽~く箇条書き。

  • 2010年11月7日:SLカート全国大会観戦、つま恋へ
  • 2010年11月14日:AS杯最終戦へお手伝い。2位表彰台ゲット!
  • 2010年11月28日:CAカートレース、惨敗のスーパーSSデビュー
  • 2010年12月11日:新カウルステッカー投入~
  • 2010年12月:SLFDによる冬特訓開始~後に大惨事
  • 2011年2月13日:CAカートレース開幕戦、超の付く惨敗
  • 2011年2月19日:レンタルカートフェスティバルお手伝い、3位表彰台ゲット!
  • 2011年4月1日:1歳3カ月の愛娘『翼』、保育園に入園
AKMTレーシング2011年カウルデザインAKMTレーシング2011年カウルデザイン

とまぁ、これまでのブログ記事の調子なら、こんな感じでしょうか。ちなみに上の写真はAKMTレーシングの2011年版カウルステッカー。SPiRiTに乗り換えてからも、昨年は以前と同じカウルを付けていましたが、オフシーズンからようやく新型の軽量白カウルに、新しいステッカーを装着しました。制作はいつもお世話になっている「あさひやアートさん」です。素晴らしいステッカーありがとうございます。今後はこのカラーリングで走行するので、皆さんよろしくお願いします。

さて今回は、4月18日に開催された『CAカートレース』第2戦。ブログ休止はなかったものとして、しれっと再開させていただきます。

サーキット秋ヶ瀬 CA KART RACE 第2戦、出場

4月18日(日)、『CAカートレース』第2戦、スーパーSSクラス出場に、サーキット秋ヶ瀬へ行ってきた。

昨年の最終戦でこてんぱんにされ、思い立って始めたSLFDによる冬特訓では、もはや予定調和のごとく自分のペースを見失い、今年の開幕戦ではフレッシュマン時代にもなかったような驚愕のタイムで周回を重ねるという観るも無残な結果となった。

というわけで、今回のレースを迎えるにあたっては、それなりに覚悟があった。レースまでに何回乗れるのか?、どういう方針で練習すべきか?、開幕戦直後に師匠であるガレージCスタッフ・岡田さんに相談した。岡田さんから提案されたのは、レースに近い環境で練習すること。当たり前のように聞こえるが、僕の場合は練習用エンジンがSECだったり、それだとウェイトオーバーだったり、変な冬特訓をしてしまったりと、当たり前ではない状況にあった。予断が多いのである。レース直前にレース・セットで短時間に帳尻を合わすのは、まだまだ僕には無理だと自覚もした。具体的には、練習用エンジンもダイレクトに変更。レース用SDと練習用SEC、半壊した旧SDの3基のパーツを寄せ集め、SECは封印した。

また2010年型SPiRiTの良さを冬でも活かせないものかと、いろいろとフロントを弄った。それでセットを半固定し、ひたすら慣熟に費やすことにした。体調不良などで、フルには練習できなかったが、温かくなるにつれ、周囲とのタイム差も縮まっていった。

しかし冬調子の良かったフロント・セットは、4月の陽気に耐えられなくなってきた。同じ2010年型を駆る先輩・高橋さんにお知恵を借り、レース直前練習で大幅にフロントを触る決断もした。高橋氏には感謝してもし切れない。いつか恩返しができればと思う。当初の指針から外れ、結局レース直前に多少のドタバタしてしまったが、これも大きくレースに向けた調整であると割り切ることができた。

レース当日のTT。今回のレースではドベ単走ではなく、同じクラスとして走りたい。そのつもりで練習してきた。ちょっと緊張し過ぎていたのか、どんでもないミスを犯してしまった。押し掛けしてもエンジンがかからない。

「ガスを送り忘れた!」。

これまで練習でもしたことのない失態。ピットでスタッフの皆さんに陳謝し、ピットからのスタートとなった。顔から火が出そうだった。でも、良い具合に違う緊張になったせいか、いつもよりは普通に乗ることができた。結果は28秒618で9台中7位。序盤にタイムを出し、最後の最後で塗り替えられた様子。ちなみにPPは全国覇者・高田選手で28.297。はう~。

予選。ローリングではいつも前から離されてしまうので、今回は何がなんでも前走者にベタ付け。それはそれで成功したのだが、大外から一気に抜かれてビリへ。その後数周で一気に離され、結局ドベ単走。いやいや、ここで負けてられないと、心を折らずに必死に喰らいついていこうと、28秒5~6という未知のペースで巡航しても差は縮まらず。やっぱりフレッシュマン時代とは役者が違うと実感した。

とはいいつつ、縮まらなかっただけで、下位集団に離されたわけではない。スタート数周で離されなければ、同じクラスでレースできるかも? そう期待して、決勝を迎えた。

AKMT

撮影:SHOKO

スタート、若干離されるも、予選ほどではない。2周目の最終コーナー、スタートで出遅れたチームメイトの高橋選手が、同じくチームメイトの矢島選手をパス。それに乗じて7位浮上。ペースで勝る矢島選手からのプレッシャーに翻弄されつつ数周、気が付いた時には高橋選手は遥か彼方。なんとか矢島選手を抑えつつ迎えたレース中盤、高橋選手との差が縮まっているのに気付いた。時折リアの方を気にかけている。「トラブルか?」などと考える余裕はなく、ひたすら追いかける。

AKMT

撮影:SHOKO

15周目にようやく追いつき、最終で刺す。コントロールラインで6位に浮上したが、そのまま1~2コーナーで並走され、3コーナーではイン側に入られる。浅知恵でアウトから刺し返そうと思ったところで、矢島氏にも入られ、ジ・エンド。その後は精神的に混乱してしまい、もう1チャンスを手にすることはできなかった。

パルクフェルメに戻ってみると、高橋選手のリアのエアが抜けていた。どうやら、レース冒頭の競り合いの際にビードストッパーを痛めたらしい。手負いの人に負けたのかと、愕然とした。言葉は悪いが、そのせいで貴重なレース体験をさせていただけたわけだが、この現実は厳しい。夢中で飛び込んで並走になった時、いつもお世話になっている高橋さんご本人には違いはないのだが、なんというかヘルメット越しに、カート越しに、今まで見たことのない高橋選手を観た気がした。ありがちな言い方をすれば『闘志』?、いや違うな。言葉は難しいな。近い感覚だと『怒り』。あ、決して悪い意味ではなく。勝手な想像なんだけど。とにかく良い体験をさせて貰った。

優勝はフリーダム浅野パパ。自分の出ているレースって、意外に前がどうだったか知るのが遅れたりする。声をかける機会がなかったのですが、おめでとうございます。こんなところで失礼します。

さて、目標だった『同じクラスで走る』ってのが達成できたのか微妙だが、とにかく初めてレースに出場したような気さえする、とても重要な1日だった。レースにむけた準備は、大きく間違っていなかったと思える。トップ勢はコンマ3秒も先に居るが、乱されず、一歩一歩前進していけたらと思う。

練習からいろいろと相談に乗ってくださったスタッフの皆さんや先輩の皆さん、そして選手権組の皆さん、本当にありがとうございました。頑張りますので、皆さん今後ともよろしくお願いいたします。